2011年8月23日火曜日

イラクの人々、砂漠のお城

こんにちはー。

こっちは相変わらず暑くて、そしてラマダンです・・・。
突然ですが、ヨルダンは国民の70%以上がパレスタイン(パレスチナ人)で、そしてイラクから避難してきたイラク人の方も多く住んでいる国です。その数、はっきりとはわからないそうなのですが、50万~100万?。

昨年、イラク避難民の支援をされているNGOの方と偶然知り合いになって、それ以来、時々イラク人の家族やこどもたちに英語を教える活動をしています。
イラク人の家族のアブーフセインは、戦争のときに片足を失っていて、なんだかあんまり詳しくは聞けないけど・・・。
今はアメリカに行く審査を受けているところ。今は、UNの援助とNGOからの援助で生活しています。

別の若い男の子(19歳)はイラクで誘拐された経験もあったりで、将来に対しても希望もなく、そういう様子が接していて伝わってきて、当たり前だけど、命が助かったからいいってわけではないんだって当たり前なんだけど、すごく思います。

という経済的に苦しい状況の方もいらっしゃれば、イラク人の富裕層の方ももちろんいます。
私が仲良くさせてもらっている2家族はイラク戦争前、湾岸戦争後の経済封鎖が厳しくなった頃から既にヨルダンで生活していて、大学に通ったりこっちできちんと会社で働いています。

ラマダンのイフタールに招待してくれてそれぞれのおうちに遊びに行ったけど、とっても豪華で、そしてイラク料理、おいしかったー!特にケバブ!

もちろん経済的に貧窮はしてないけど、例えば大学の合格も一般の点数とそれ以外にイラク人の枠があったりと厳しい条件だし、就職も院を出ていても厳しいのが現状。よくはわからないけど、ヨルダンの国籍を取るのはとっても大変らしく(高額なお金が必要?)、ヨルダン政府としてもいずれはイラクに戻って行ってほしいという風に思っているんだろうなあ。



イラク人のママは、「バクダッドは歴史のある本当に美しい街で、きっと数年後イラクに戻れるようになるはず。必ず戻る。」とずっと言ってました。

アメリカへ行く申請をしているアブーフセインは、「そりゃ戻りたい。でも身の危険があって戻れない。アメリカには行きたくていくんじゃない。でも家族もいる、それしかない。」って。
本当に色々考えさせられるし、考えんといけん。


さてさて、こないだふらりと一人で砂漠のお城をまわってきましたー。
でも、公共のバスが通ってなくて、何度もヒッチ、結構きつかったなあ。
サウジからのトラックばかり通ってて、トラックが停まってくれました。運転手は1台目がインド人、2台目がフィリピン人。
ドライバー職もヨルダン人ではないんだなあ。ちなみにフィリピン人の月給は400ドルだって。

アズラック城 アラビアのロレンスも滞在したらしい

国境への道はどちらもトラックがひたすら続いてました


一番よかったのは、アムラ城!(世界遺産)。天井や壁の画がすごかった!